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 2013年9月15日〜21日台湾歴史地区と温泉めぐり ≪1≫ 日本統治時代から続く新北投温泉
淡水/北投温泉 台南 高雄 台中/日月譚 台北/九分 台北街歩き)
台北・新北投温泉 瀧乃湯、日本統治時代に建てられた。築約100年、木造・平屋建て瓦葺きの純日本的建築。 台湾・高鉄(新幹線)台北〜台南 高雄・蓮池潭 蒋介石も愛した日月譚 台北郊外九分・千と千尋の神隠し舞台モデル 台湾名物マンゴーカキ氷
2013年9月15日
成田空港
台北桃園国際空港
台北・淡水
北投温泉
春天酒店
(スプリングシティリゾート)

K&MSecond Life


成田空港第Uターミナル、エアアジアのチェックインカウンターはLCC(格安航空)の為だろうか、(F)という小さな特設カウンターでA〜E通常のチェックインカウンターの先にあり見つけづらかった。早朝6時前だがすでに長い列で格安航空の盛況ぶりを感ずる。廉価に設定する為機内サービスは全て有料、荷物も機内持込は小型荷物を一人一個、重量7`以内と厳しく制限している。搭乗手続きを済ませ出国ゲートに行くが6:30開門でまだ閉まったまま。しばらく待って、開門と同時に出国検査へ。台北行きの便は86番ゲート。
台湾までは僅か3時間半、快適さより安さを優先して初めてのLCC(格安航空)を選んでみたが乗客は圧倒的に若い人ばかり。座席は3列3列で、機内は思ったよりきれいだが前後の間隔はやや狭いと思う。

AirAsia初搭乗
LCC(格安航空)AirAsia航空を初利用 台北へ。

台湾観光局でもらった空港バス利用券
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出国時の成田は台風18号の接近で大雨の天気予報だったが無事7:50定刻に離陸した。台風の進路は小笠原方向から本州に向かって接近中、台湾にはほとんど影響はなさそう。 収益を考えているのだろう、機内サービスは全て有料で、さかんに機内サービスを案内している。10:35分、ガイドブックを読んでいるうちにあっという間に台北桃園国際空港に到着。



MRT(台北捷運/地下鉄)圓山駅

台北桃園国際空港、出国ロビーを出てリムジンバス乗場へ、「台湾観光局」でもらったバス乗車券を使い台北市内へ向かう。運転手さんにMRT(地下鉄)圓山駅のメモを見せて降車をお願いしておく。30〜40分程で圓山駅に着く。MRT圓山駅から淡水線・淡水行きに乗る。電車は結構混雑していて荷物を床に置き立っていると、若い女性から声をかけられ席を譲られる。台湾は親日的とは聞いていたが、到着早々若い方からの親切に遭遇すると一層その感を強くする。席を譲った二人の女性とはその後隣の席が空いて掛けられ同じ淡水まで行くというので片言で話しながら終点の淡水駅まで同行する。お二人とは駅でお礼を言って別れたあと、コインロッカー(存物箱という呼び方も面白い)に荷物を預けで街に出る。


淡水の街は古く趣のある商店街で海に向かって続く。通りを進むと中ほどに台湾で初めて目にする寺院があり見学する。

日曜日のせいか通りはとても賑やかで、あちこちから客を呼び込む声飛び交っている。

紅豆餅

黒たまご(鉄蛋)

客も多い清潔そうな店を選んで中華万頭、餃子、台湾名物黒たまご(鉄蛋)、紅豆餅(台湾風今川焼き)など買う。


淡水を見学して駅に戻り、MTR電車で台北方面「北投」へ、そこで電車を乗換えて、日本の統治時代からある温泉「北投温泉」へ。

北投温泉
北投温泉は、明治16年(1894年)にドイツ人商人が発見したといわれている。1896年、大阪商人平田源吾が北投で最初の温泉旅館「天狗庵」を開業した。 その後、日露戦争の際に日本軍傷病兵の療養所が作られ、それ以降、台湾有数の湯治場として知られるようになった。1905年、日本人学者岡本要八郎によって北投石が発見される。北投石は、微量のラジウムを含んだ湯の花が、何千年もの歳月をかけて石灰化したもので、世界ではここと秋田県の玉川温泉でしか産出されない。当地にある共同浴場瀧乃湯の前で発見された。また同年、「湯守観音」を祀る「鉄真院」(現普済寺)が創建される。1913年、北投温泉公共浴場(現北投温泉博物館)が落成し、北投公園も完成する。戦前は、モダンな建物が立ち並ぶハイカラな温泉街として知られ、1923年には昭和天皇(当時は皇太子)も訪問した。
戦後、台湾が中華民国に帰属した後、中華民国政府は北投温泉を歓楽街として位置づけ、置屋の営業を認めた(公娼制度)。この為、国の内外から売春目的で北投温泉を訪れる観光客が集まった。しかし、公娼制度は1979年に廃止され、また、当時台北市長だった陳水扁(前任の中華民国総統)の健全化政策により、北投温泉から置屋は消滅し、親子で楽しめるような観光地が復活した。2010年、台湾でも人気の高い日本旅館「加賀屋」が「北投加賀屋」を開業した。
新北投へ行こう!
MRT(台北地下鉄)新北投の駅舎

北投温泉の宿泊ホテルは温泉街をだいぶ登った高台にあり、ゆっくり温泉街を歩いて行く。





温泉街はあまりに日本の温泉地と近い風情で、日本統治下に開発され当時の面影がそこかしこに残っている。
駅の近くに「温泉博物館」があり見学する。見学者の行列に並び入口で靴を預け中に入ると、すぐに畳敷きの大広間で昔湯上りの休憩室らしき部屋がある。


幾つもの浴室にそれぞれ日本人だろう入浴中の白黒写真がある。
展示された古地図には日本名の旅館名がいっぱい並び日本統治時代の温泉街はすごく賑やかだったのだ。


昭和初期の北投温泉地図


温泉街中程にある書道家・于右任が避暑地として過ごしていた邸宅「梅庭」。

温泉博物館を出て坂道を進んでいくと、京都、熱海など戦前からの名前のまま今も営業中の宿もあり、最近開業した加賀温泉の老舗高級旅館「加賀屋」もある。


今夜宿泊する春天酒店の直ぐ近くにある、「吟松閣」旅館は100年ほど前に建設され、日本統治時代に接待所として使用されていた、北投温泉屈指の古い日本式旅館。


吟松閣旅館

春天酒店下を流れる河は温泉が湧き出していて自然の足湯と化している。


新北投駅から坂道をだいぶ登り、夕方4時頃に「春天酒店」SpuringCityResortに着く。


台北で最初の宿泊ホテル「春天酒店」SpuringCityResort 6303号室。


ホテルの部屋には石風呂があり、そのお風呂には天然温泉(ラジウム泉)が引かれている。
到着早々台湾初めての温泉。
部屋のお風呂なのに石造りとは豪華。温泉マークのついたコックを廻すと勢いよく温泉が噴出してきた。

手前の蛇口が温泉

新北投温泉は泉質:青[石/黄]泉、白[石/黄]泉、鐡[石/黄]泉の3種類で、世界中で北投と、日本の秋田県/玉川温泉との2ヶ所でしか産出されない貴重な鉱石。


「春天酒店」の朝食は一階レストランで。温泉旅館らしく健康的なメニューも多い。



露天風呂は二階から出たところにあり、水着着用で用意はしてきたが入らなかったので朝食後見学してくる。

花瓣浴

花瓣浴、露天庭園温泉、気泡浴、石板浴、など、自然を満喫しながら楽しめる施設になっている。


9:00チェックアウト。1泊2食二人で3999NT(台湾ドル)約14000円、台湾は物価が安い。


ホテルの送迎バスで北投駅に送ってもらう。

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桃園空港2万円両替票

MRT北投駅から台北へ。二日目は台北から台湾高鉄(新幹線)で台南に向かう。

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